適応的演繹サイクルによる言語モデルの自己整合性の実現

タイトル: 適応的演繹サイクルによる言語モデルの自己整合性の実現
著者: SigmaSense Project
リポジトリ: https://gitlab.com/sigmasense1/sigmasensejp
日付: 2025年11月7日


概要 (Abstract)

大規模言語モデル(LLM)は、その高い能力にもかかわらず、ハルシネーションや意味論的な非一貫性といった課題を依然として抱えている。本稿では、この問題に対する新しいアプローチとして、ハイブリッドAIアーキテクチャ「SigmaSense」内で実装された「適応的演繹サイクル」を提案する。このサイクルは、(1)自然言語の手順からコードを生成する「順方向パス」と、(2)生成されたコードから再び自然言語の手順を生成する「逆方向パス」で構成される。本稿では、このサイクルを自己検証メカニズムとして利用し、意味論的一貫性が崩れた際に、システムが自身の持つ明示的な翻訳ルールを動的に適応・修正することで、サイクルを安定化させるプロセスを実証する。このアプローチは、LLMの出力を外部のシンボリックなルールベースで制御・検証することにより、ブラックボックス的な自己修正に比べて高い透明性、信頼性、制御可能性を実現するものであり、安全なAGI開発に向けた重要な一歩となる。


1. 導入 (Introduction)

近年、大規模言語モデル(LLM)は目覚ましい発展を遂げ、人間との対話やコード生成など、多岐にわたるタスクで高い性能を示している。しかし、その内部的な動作原理は依然として不透明であり、事実に基づかない情報を生成する「ハルシネーション」や、文脈によって出力の意味論的一貫性が揺らぐという根本的な課題を抱えている。これらの課題は、LLMをミッションクリティカルなシステムに組み込む上での大きな障壁となっている。

本稿では、LLMを単一の知能としてではなく、より大きなアーキテクチャ内の思考エンジンとして位置づけ、その出力を明示的かつシンボリックなルールベースで検証・制御するハイブリッドAIアーキテクチャ「SigmaSense」を提案する。本稿の貢献は、このアーキテクチャ内で「適応的演繹サイクル」と名付けた自己検証・自己適応ループを実装し、その有効性を計算機上で実証したことにある。


2. 背景と関連研究 (Background and Related Work)

2.1. LLMの自己修正

LLMに自身の出力を評価させ、再度プロンプトを与えることで精度を向上させる「自己修正」の研究は活発に行われている。しかし、このプロセスは依然としてLLMの内部的な判断に依存しており、なぜ修正が成功または失敗したのかを外部から解釈することは困難である。

2.2. ハイブリッドAIシステム

ニューラルネットワークとシンボリックAIを融合させるハイブリッドAIは、古くから研究されてきた分野である。Hyperonのようなプロジェクトは、汎用的な知識表現言語を用いて、異なるAIアルゴリズムの協調を目指す壮大なビジョンを掲げている。SigmaSenseは、このハイブリッドAIの思想に強く影響を受けつつも、コード生成と自己検証という具体的なタスクに焦点を当て、より実践的かつ工学的なアプローチでその実現を目指している。


3. SigmaSenseアーキテクチャ

本研究で用いたSigmaSenseのアーキテクチャは、主に以下のコンポーネントから構成される。その関係性を図1に示す。

  • LLM思考エンジン (OrienLLMClient): コードからの手順生成など、高度な推論が求められるタスクを担当する。本稿の文脈では、Google Gemini等の高性能LLMがこの役割を担う。
  • VetraTranslator: 自然言語の手順と、内部的な中間表現(IR)を相互に翻訳するコンポーネント。その翻訳ルールは、外部のデータベース(vetra_symbolic_dictionary.db)に正規表現とテンプレートのペアとして明示的に格納されている。
  • CodeGenerator: VetraTranslatorによって生成された中間表現ツリーから、実行可能なPythonコードを組み立てる。
graph TD
    subgraph SigmaSense Architecture
        A[自然言語] --> B(VetraTranslator);
        B -- 中間表現 (IR) --> C(CodeGenerator);
        C -- 生成されたPythonコード --> D{実行環境};
        B -- 辞書ルール --> E[(vetra_symbolic_dictionary.db)];
        F[LLM思考エンジン] -- Code-to-NL推論 --> B;
        C --> F;
    end

図1: SigmaSenseの主要コンポーネントとデータフロー

このアーキテクチャの鍵は、LLMの創造的な推論能力と、VetraTranslatorの厳密で検証可能なルールベースの処理を分離し、協調させている点にある。


4. 適応的演繹サイクル:実験と結果

本節では、演繹サイクルを実証し、その過程で発生した問題をシステムが自己適応によって解決した具体的な実験プロセスと結果を詳述する。実験のシーケンスを図2に示す。

sequenceDiagram
    participant User
    participant SigmaSense as SigmaSense (VetraTranslator)
    participant CodeGenerator
    participant LLM
    participant DB as Rule Database

    User->>SigmaSense: 手順を学習させる (手順A)
    SigmaSense->>CodeGenerator: IRを生成
    CodeGenerator-->>User: Pythonコード(C)を返す
    Note right of User: 順方向パス 成功

    User->>LLM: コード(C)から手順を生成させる
    LLM-->>User: 手順' (A') を返す
    Note right of User: 逆方向パス

    User->>SigmaSense: 手順' (A') を学習させる
    SigmaSense-->>DB: 翻訳ルールが見つからず失敗
    Note right of User: サイクル失敗

    User->>SigmaSense: 新しい翻訳ルールを登録
    SigmaSense->>DB: 辞書を永続的に更新
    Note right of User: 動的適応

    User->>SigmaSense: 手順' (A') を再度学習させる
    SigmaSense-->>DB: 新ルールで翻訳成功
    Note right of User: サイクル成功

図2: 適応的演繹サイクルの実験シーケンス

4.1. フェーズ1: 順方向パス(手順 → コード)

まず、test_procedure.txtというファイルに以下の単純な手順を記述した。

手順:ファイルテスト、"Hello from file!"と表示する。

このファイルを標準入力としてシステムに与え、タスクを学習させた。

cat test_procedure.txt | python src/interfaces/chat.py

この結果、VetraTranslatorは既存の辞書ルール(^"(.+?)"と表示する。$)を用いて手順を解釈し、CodeGeneratorが以下のPythonコード(generated_scripts/task_ファイルテスト.py)を正しく生成した。

from src.sigmasense.temporary_handler_base import BaseHandler
import math
import sys

class TemporaryHandler(BaseHandler):
    def execute(self, context: dict, captured_output: list) -> dict:
        captured_output.append("Hello from file!")
        return {"status": "success", "result": "\n".join(map(str, captured_output))}

4.2. フェーズ2: 逆方向パスと問題の発生(コード → 手順)

次に、生成された上記PythonコードをLLM思考エンジンに入力し、元の自然言語手順を再生成させた(逆方向パス)。

echo "手順生成:ファイルテスト_逆、スクリプト:generated_scripts/task_ファイルテスト.py" | python src/interfaces/chat.py

この時、sigma_logs/sigmasense_app.logには、LLMが以下の手順を生成したことが記録されている。

2025-11-07 17:13:44,640 - SigmaSenseDaemon - INFO - OrienLLMClient returned: 手順:ファイルテスト_逆、
`"Hello from file!"`と表示する、

この出力は人間にとっては意味的に等価であるが、機械的な検証においては2つの問題(バッククォートと末尾のコンマ)を含んでいた。結果として、VetraTranslatorはこの手順の解釈に失敗し、ログにはUSE_LLMへのフォールバックが記録された。これは演繹サイクルの失敗を意味する。

2025-11-07 17:13:44,648 - SigmaSenseDaemon - INFO - Generated steps_tree: [
  {
    "dict_id": "USE_LLM",
    "params": { "0": "`\"Hello from file!\"`と表示する、" },
    ...
  }
]

4.3. フェーズ3: 動的な自己適応とサイクルの安定化

この問題を解決するため、辞書登録コマンドを用いてVetraTranslatorのルールを動的に更新した。

echo '辞書登録:print_string_hyouji_backtick、パターン:^`"(.+?)"`と表示する、$、テンプレート:captured_output.append("{0}")' | python src/interfaces/chat.py

このコマンドにより、LLMの出力の「癖」を許容する新しいルールがvetra_symbolic_dictionary.dbに永続化された。この後、再度逆方向パス(フェーズ2)を実行したところ、ログには以下の成功記録が示された。

2025-11-07 17:13:44,648 - SigmaSenseDaemon - INFO - Generated steps_tree: [
  {
    "dict_id": "print_string_hyouji_backtick",
    "params": { "0": "Hello from file!" },
    ...
  }
]

dict_idUSE_LLMではなく、新しく登録したprint_string_hyouji_backtickに正しく解決されていることがわかる。最後に、この新しく学習したタスクファイルテスト_逆を実行し、期待通りの出力を得ることに成功した。

echo "実行:ファイルテスト_逆" | python src/interfaces/chat.py

# 出力
思考結果: 手順『ファイルテスト_逆』の実行に成功しました。結果:Hello from file!

これにより、演繹サイクルが意味を損なうことなく安定して一周したことが実験的に確認された。


5. 考察と意義 (Discussion and Implications)

本ケーススタディは、以下の重要な意義を持つ。

  • 透明性と制御可能性: 問題が発生した際、その原因がLLMのブラックボックスな振る舞いではなく、「VetraTranslatorの辞書にルールが不足している」という解釈可能な問題として特定できた。そして、そのルールを明示的に追加することで、システムの振る舞いを正確に制御できた。
  • 堅牢性: LLMの出力の揺れや「癖」を完全に防ぐことは困難である。本アプローチは、LLMを無理に変えようとするのではなく、周囲のシステムがその癖に適応することで、システム全体の堅牢性を高めるという新しい道筋を示している。
  • AGIへの道筋: 安全なAGIは、その行動原理が監査可能で、信頼できるものでなければならない。本研究で示された、明示的なルールに基づき自己の振る舞いを検証・適応させていく能力は、そのような信頼できるAGIを構築するための基礎技術となりうる。

6. 結論と今後の展望 (Conclusion and Future Work)

本稿では、ハイブリッドAIアーキテクチャ「SigmaSense」において、LLMの推論能力とシンボリックなルールベースを組み合わせた「適応的演繹サイクル」を実装し、その有効性を具体的な実験ログと共に実証した。このサイクルは、意味論的な一貫性を自己検証し、問題を発見した際には自身のルールを動的に更新することで、LLMの予測不可能性に適応し、安定した動作を実現する。

これは、単一のLLMの能力に依存するアプローチとは一線を画し、より透明で、制御可能で、堅牢な知的システムの構築に向けた重要な一歩である。

今後の展望としては、より複雑な制御構文(ループ、条件分岐)を含む手順でのサイクル安定性の検証や、このサイクルをコードのバグ修正やリファクタリングといった、より高度な自己修正タスクに応用していくことが挙げられる。


付録A: 用語集 (Appendix A: Glossary)

  • SigmaSense:
    本稿で議論されるハイブリッドAIアーキテクチャ、およびその実現を目指すプロジェクト全体の名称。複数の専門家AIエージェントが協調することで、創発的に高度な知性を実現することを目指すデジタル生態系。
  • VetraTranslator:
    自然言語(特に日本語の手順)と、構造化された中間表現(IR)との間の双方向翻訳を担うコンポーネント。翻訳ルールは、モデルの重みではなく、外部のデータベースに正規表現パターンとして明示的に格納されており、動的な追加・修正が可能。
  • OrienLLMClient:
    Google Geminiのような、汎用的な大規模言語モデルの能力を呼び出すためのクライアントコンポーネント。コードからの手順生成のような、創造性や広範な知識を要する推論タスクに利用される。
  • CodeGenerator:
    VetraTranslatorが生成した中間表現(IR)のツリー構造を解析し、定義済みのテンプレートに基づいて実行可能なPythonコードを組み立てるコンポーネント。
  • WorldModel:
    SigmaSenseプロジェクトにおける中心的な知識グラフ。事実、概念間の関係、そして「タスク」として学習された手順などがノードとして格納される。

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